“世界”はそれを期待してない その1

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花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

職場で一緒に働いている方々は、ほとんどがママさんです。同期たちもそう。

お子さんというのは小さいうちはしょっちゅう体調を崩すのですね。幼稚園や保育園からお呼び出しがかかって早退することも、しばしば。

だから翌朝は「大丈夫だった?」と声を掛けるし、同期たちもため息混じりのあれこれを語ります。

そんな日常を繰り返してきて先日、ふと気づきました。

『私の本業って《相談員》か?』

思い返せば、小さい頃から始まり学生時代はもちろん、社会人になっても、どこの職場に行こうとも、たいていそこでいろんな相談を受けていたような。相談だけではないか、話し相手になっていたような。

だったら《(出張)相談員》ってことかしら。

同僚はともかく、上司からもいろいろ話を聞かされていたし、つながりの少ない他の部署の方でも何かご縁があってあれこれ聞いていたっけ。

辞める際には『話を聞いてくださってありがとうございました』みたいなお手紙いただいたりすることも結構あって、私には自然すぎて『そんなことあったっけ?』と思ってみたり。

そして今に至り、私はここでまた、いろいろな方のお話を聞いています。

ママさんたちは子育ての苦労を語るわけだけど、聞いている私は独身(結婚経験無し)の子供無しなのよね。

要は彼女たちは子育てのノウハウを聞いてるわけではなくて。それは情報として今はどこからでも引き出せるとして。

ママではあるけれど、それ以前の“自分”として語りたいし確認したいのですよ。“私”はこれで大丈夫なのかと。

なので私もまずはそういう視点から話します。というか、こういう時点で実はセッションと変わらないのです。

たいてい彼女たちの中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)が語っています。

そういう意味で、私は日々セッションをしているといえるのでしょう。

そういった場では当然無償なわけですが、それらは無意識でのリサーチというのかインプット作業であり、それをセッションという公の場で最大限フィードバックしているのだなと。

私は天職とか本業とかそういうのが全然わからず、あってもなくてもいいのだと思っているのですが

「苦労することなくできることを仕事にするのがいちばんです」みたいなことをよく聞きますけど、そんなんもまったく思い浮かばなかったのです。

それが、今になってやっと気づいたという。

 そう、“相談にのる”とか“聞き役になる”など、誰かの話し相手になることは苦も無くできる。

あー、ホント当たり前すぎて全然気づかなかった。当たり前すぎるということをナメてたわ(笑)。

その視点から物事を捉えると、まったく違う世界が見えてきました。