居るべき場所では輝く

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花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

前の記事にもなっている交流会で、存在感がないんですとおっしゃる方がいらっしゃいました。

全然そんなことないんですよ! その方の存在感は、交流会では相当大きかったのです。お話もとてもお上手で、その内容もどなたもうんうんうなづいていたくらい深い。

そのときふと脳裏をかすめた感触は『居るべき場所に居るから』と。

そうか、意識的か無意識かはわからないけれど、存在感をコントロールできる方がいらっしゃるのですね。もしくは中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)がコントロールしているのかも。結果的には一緒ですが。

実は私は四六時中、存在感が薄いほうなのです(笑)

学校や職場、セミナーなどでもどこでも、名前呼ばれないとか名簿に載ってないとか日常茶飯事。

先日も職場で、私はデスクにはもちろん居るのに、同期の中で私だけ声を掛けられない案件があり、担当の方に悪気がないのはわかっていたので、いつものことだと同期たちにも伝えて笑っていました。

同期たちも、たまたまだと思っていたようですが、しばらく経ってから今度は私だけ配られなかったものがあって、一日の中の、しかもあまり時間が経っていない間に立て続けに起こったことなので、さすがにビックリした模様。

「妖精ちゃんキャラなんだね。心のきれいな人にしか見えないんだよ」など笑い飛ばしてくれるメンツなので私も助かりました。※後日、担当の方も気づいたようで問題はなかったです。

さて、私はやっぱり存在感がそもそも薄いのか、または居るべき場所がとことん少ないのか。

えぇ、どちらもアリでしょうけれど…ただ、『居たくない場所にいることが多い』というのも正しいような。

そこに気づいて、それってどういうことだろう? それでいいのかな?とあらためて考えさせられているところです。