限りある時間、だから楽しい その2

◎お引っ越しして、このブログを始めました。以前のブログは⇒こちら

 

花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

『私の人生って何なんだ…』とへなへな~となるような日々を過ごす、鳥頭あかり。

でも、それはそれで興味深かったりするという話の、その2です。

ストレスの多い生活をしていると、それを癒してくれるならお金出します!って気持ちになることを知りました。

お金というエネルギーを循環させるには、なかなか良い方法なのだとポジティブに考えるとそうなるなと(笑)。

同期たちは職場近くに住んでいる人たちも多く、お店の情報をたくさん教えてもらえるのですが、近所のケーキ屋さんや和菓子屋さんの話を聞いては、足を運んでしまいます。

オマエはプロテイン中心の食生活で、糖質はほとんど摂ってないんじゃないの?とお思いの方もいると思いますが

たぶんね、気持ちを緩めるには甘いものというクセが残っているのと(今までも働き始めのときは、会社帰りに毎日甘いもの食べてた記憶が甦ってきた)、とにかく気分転換をしたいのだと。家に帰る前に一杯引っかけて帰るお父さんたちの気持ちがめっちゃよくわかります、今は(´Д`;)

この経験からわかったことなのですが、あの、今ってお値段お高めで繊細な味わいのケーキも多いでしょ?

そういうのってね、会社帰りに食べてはダメです!

食べててもその繊細さがさっぱりわかりません。疲れていると気づかない(気づけない)ようで、逆に味気なく感じるみたい(x_x;)

労働者が多い街では食堂も味つけ濃くするって聞くでしょ? あれ正解なんですね。確かに私も会社勤めしているときは塩気多いものを好んで摂っていたみたいで、辞めてからその頃好きだったデパ地下のお惣菜なんて食べてみると塩辛くて食べられないってことがたくさんありました。ストレスは味覚を鈍くするのですね、やっぱり。

だから「あー、こういうのって時間に余裕のあるマダムが食べるケーキなんだなぁ」って知りました。というか、休日のリラックスできているときに食べるもんなんだなと。

その点、昔ながらのケーキ屋さんだと全然OK。

幸いなことに職場近くには老舗といわれるお店がいくつかあって、イートインスペースもあるのですが、そこでは心からホッと一息つけるのです。

店主もひと癖ありげな面々ですが、それがそれで味があって、そしてそれらの店共通の“万人好み”というのは最強であると改めて知ることができます。疲れたこころとからだに沁みわたる。

体調によってお店を使い分けたほうが無駄がないようです。「高いくせに美味しくない!」と憤慨したのを反省して、今度はお休みの日に改めて高かったお店に買いに行こうと思います。

でもね、突き抜けて美味しいものはどんな体調でも美味しく感じるけどね(爆)。

大昔、インフルエンザにやられてなんとか治った数日後に会社の同期の結婚式ってことがありました。まだ食欲は戻らす、披露宴での会食もほとんど手を付けられなかったのですが、そのときのメイン料理として出た牛肉が本当に美味しくてね。それだけはめっちゃ食べられたんです。

その経験をしてから、本当に美味しいものは違うなぁと知りました。だから、体調イマイチのときにイマイチなものは、やっぱりイマイチなのかもね(笑)

ほかにも、今までには考えられないような“無駄遣い”をしているような気がして、まだ働き始めだし、GWも挿んでいるので大してお給料も頂けていないのにこんなに散財していいのかと焦ることもあるのですが、それでも「助けて~」という心の叫びに抗うとはできず。

でも、これも興味深い体験なのです。

もしも先の2年間を経ておらず、まだ会社勤めを続けていたのならば、もっとキュウキュウな生活をしていたことでしょう。

どうにかなるということを知って、経験することの大切さを知って、ひと回りした私が再び会社勤めを始めたからできること。

お金という対価を払って経験を積むということを、半強制的ではありますが今はできているという証です。

たかがお菓子屋さんめぐりをしているだけとも言えますが、そこでもさまざまな気づきや情報を得られます。

それを同期たちにフィードバックすると楽しんでもらえるし、またいろいろな情報を得ることができます。

まさしく循環できるということなのです。循環は生きている中ではとても大切な要素です。からだであれこころであれ循環させないでいるとエネルギーの活力は停滞します。それは生きる活力の低下にもつながります。

フラワーエッセンスのコミュニケーターとして動いていたときには、経済的なエネルギー循環は低かったけれどストレスレスな状態だったので、以前の会社勤めでのストレスフルな状態からフラットにいったん戻せたのです。

そこから今度はまたいろいろな意味でパワフルに動く時期になりました。まだ以前の人生の歩き方のクセが残っているから、あらぬところで時々つまづいたり転んだりするだろうけど、それでも絶対に今までとは違う歩き方ができる。

無駄遣いが無駄ではないことを知って動ける。どんな経験もエネルギーの動きであって、それを循環させることで小さな世界とも、もう少し広い世界とも、どんな世界ともつながった循環へと移行していける。

今のお仕事は決して楽ではないけれど、ゆえに興味深い“修業”の場だと思えます。私みたいなガンコな石頭の鳥頭(笑)にはこういった、ちと厳しめの場のほうが修業には向いているのでしょう。

さすが、スパルタで名高い(?)私の中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)が創り出した世界です。着ぐるみの私(表層意識。この世界のプレイヤー)のことをよくご存じですこと(笑。当たり前か)

今、生きている世界が苦しいと思うあなた、どうぞその世界はあなたにとって“最善最良である”と意図されて存在させられていると考えてみてください。

中の人は私にこう伝えます。

『この世界で起こることの責任は、おまえさんたち(注:着ぐるみの自分。表層意識で生きていて、この世界のプレイヤーであるあなたや私)にはいっさい無い。こちら側が意図して世界を生みだし創り出しているからだ。ただし、その世界に状況に対しての己の感情はおまえさんたちが選べる。

何を選ぶか。楽しいと思うかつらいと思うか、嬉しく思うか悲しく思うか。それだけはおまえさんたちの責任において為されることなのだ。

何を選ぼうとそれをこちら側はいっさいジャッジしない。どう感じようが良し悪しはまったくない。ただ、おまえさんたちがこの世界でプレイしていくうえでは重要なのだろうな。プレイヤーにとってどう生きていくかは、ほぼ感情によって左右されるのだろうからな』

…なーるぅぅぅ。同じ状況でも楽観できるか悲観できるかでは全然変わってきますもんね。私なんてたいてい悪い方向考えるし(ノДT)

でも、そうやって悪いように考えていても、あまりにひどいと考えきれなくなって、もうイヤ!ってなって反対方向に舵を切るようになるんですよね。それがたとえばどうしても合わない仕事のときは短い期間で辞めるってことになってたんだろうし。

要は世界を与えることによって感情の変化を起こさせて、臨界点に達したときに実際に感情が変化し、実際に世界も新たに創られる。

感情をうまくコントロールできるプレイヤーは世界をあまり変えられずに済むんだろうけど、私みたいなブッキー不器用なポンコツプレイヤーは『アイツ、また滞ってる』と中の人にため息つかれながら、感情を揺り動かすべく、世界を調整されるのだろうな。
だからなんとも落ちつかない人生になってるような。それはそれで私の個性なのかな(°∀°)b←大いなる勘違い

感情を変えたら世界は変わる。変えられなくても世界が変わってくれる。

世界を創り出すのはあなたの中の人だから、私たちは常に“わたし(中の人+着ぐるみ)”世界の内に存在しているから

それはまるで孫悟空がお釈迦様の手のひらのうえで飛び跳ねているようなもの。いつも見守られて安全な世界。

すべてはそこで起こっていることだから、もしも生きることが怖くなったら、苦しくなったら、いったん立ち止まって大丈夫。

そして今持っている感情を見つめ直して。それができないなら世界が変わることをじっくり待って。