世界を信じてみようと思ったの
花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪
GW中で唯一遠出した小田原の街で途中雨に降られて。
折りたたみ傘はいつも用意してあるから、差して歩くこともできるのだけど
そのときは『雨は止むものだよね。待ってみようかな』となぜか思って。
にわか雨で結構な激しい降りだったからというのもあるけれど、でも、なんだろな。
私の外側にあるように見える世界の流れに沿ってみてもいいんじゃないかと思えて。
いつもは自分のペースで動けないとイラつくというか、しんどいというか
だ
からスタスタと短気を起こして動いちゃうところも意外とあったりするのだけど
そのときは、うん、そのようにしたのです。
すぐには止まなかったけれど、雨やどりしたお店の中を眺めながら、別に長居をとがめられるわけでもなく
そしたら、いつしか雨は小降りになってきて、そしたらお店をあちこちジャンプしては店内を眺めて
そして、晴れ間ものぞいてきたので駅へと向かったのです。
私が私のペースでいられないからしんどい想いをするだけで、世界はそんなに厳しくない。
私を困らせようとして雨を降らせているわけではない。私の受け取り方の問題なのだろうと。
GWも終盤に差しかかると、再び始まる会社勤めに対しての憂うつが頭をもたげてきて。
何がそんなに憂うつなのか、正直本当にわからなくて。だけどただただ『嫌だなぁ』と思う。
で、ふと気づくのは“何かを為さね、合格点を取らなくては許されない”という、自分の中にある意識。
それって何に対してよ?と自分ツッコミはするんだけど、そこははっきりしなくてね。
会社勤めが自分の世界の主たる目的ではないことを自覚しているわりに、そこにずんずん引きずられている。
それってたぶん社会人になってからずっとだと思う。なんで? そう考えたときに
『嫌なこと、苦手なことに意識を持っていかれてしまう気質、なんだよね』と。
別に仕事に関することだけではない、何であっても嫌だったり苦手だったりすることがちょっとでも立ちはだかっていると、とたんにそちらにフォーカスしてしまう。それはどんなに楽しいことや嬉しいことがある最中でも。
思い返せば、いつだってそうだった。だったら、それはそーいうモンだと開き直るくらいがよかったんじゃないのかな? そもそも会社勤めはどんな仕事内容でも職場環境でも、私にとってはどうしても負担がかかることなんじゃないか、と。
被害妄想上等くらいに思ってるほうが、人生をそっちに引っ張られすぎなかったんじゃないかなと、今さらに思ってみたり。
なのに、嫌なことや苦手なことを真正面から受けとめて、それを克服するための努力をしたら、それらは転化してラクになるんじゃないかと思い込んで。プライベートならともかく、お仕事は社会的なものだから、そういう努力は必要なんじゃないかと、劣等感と社会に対する罪悪感から思い込み激しく、ずーっとずーっと努力という名の心労を重ねていたような。
そんな“努力”で解決できたことはあったかと振り返ると、これまた無いんだな(苦笑)。ビックリするよ、我ながら。
てか、本当にダメだと思った仕事に対しては、降参してちゃんと逃げてる。1年ともたなかった仕事がふたつあるのだけれど、まさしくそれらがそうだった。ノルマがあって、上司が監視が厳しくて…同じような傾向なんだよね。
今のお仕事はそこまではないけれど、若干競争を感じるような、ノルマを感じるような、ボーダ―ラインでグレーゾーン。だから余計に不安を感じてしまうのだろうなと…うん、今やっと分析できた。
なんでこんなつまんない人生なんだーッ!!!、と心の中で大声で叫んだら、『人生と勝手に大風呂敷を広げるな。今日が、今が、この一瞬がつまらないだけだろうが』とあっさり中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)にたしなめられて。
うわっ、スゲェ痛いとこ突いてきたなと苦笑い。そうだよね、壮大に事を広げると判断はあいまいになるけれど、時間を細かく見ていけば楽しいことも幸せに感じたこともたくさんある。なのに、今このときがしんどいと人生すべてがしんどく感じるんだよね。
私は先々を見てしまうから、そういう気質ではあるから。だけどさ。
気質を変えようとするの、もういいやって。ここまで開き直るの、人生で初めてかも。
無駄な労力を使う大賞があるなら十分ノミネートできると思うくらい私、やってきたと思うのよ。努力はむくわれる、心の奥底でそれを信じて、めっちゃ信じこんで。
でも、その努力は実際には努力ではなくて、心労にしかならない別のものだった。これだけの何かをしたのだから“許される”よねと自分で認めたくておこなってきた、その“何か”でしかなかった。しかもそれを延々と繰り返しているんだから、狂気の沙汰よ。
何を為さずともここにいていい。この世界はそれくらいの優しさがある。この世界の、その優しさを信じてみようと思ったの。
今まで会社勤めしてきて、会社で何か為さねばならないことって本当にあったのかな?
今まで生きてきて、人生で何か為さねばならなかったことって本当にあったのかな?
為さねば許されないことって、この世界に本当にあるのかな?
少なくとも私の中には、ない。そう気づいた。
為すための人生ではなくて、瞬間瞬間に提供される“世界”というホログラムと対峙して、あれこれ反応していく人生。
反応するだけでいいんだろうなぁって、結果はどうでもいいんだろうなぁって。
そうよ、中の人だけが結果を予想している。予想しながらこの世界のプレイヤーである私にさまざまな場面を与えて、どんな反応するのか、それが予想通りだったか、違っていたら違っていたでこれまた楽しんでいるんだもん。
そして私も、しんどいしんどいとか言いながら、意外と楽しんでいるんだろうな。どこか、こころの片隅では。そんなかけらを今回、自分の中に発見してしまったりもしたから。
世界は意外と優しい。何も為さずとも私は生きている。生かされている。
明日から始まるお仕事でも、与えられたものをまずは受けとめて反応する。大丈夫、ダメならちゃんと逃げられるという実績を確認したし(笑)。
何が来るのか起こるのか全然わからないのに、それにおびえているのはホントに時間がもったいないし、なにより心身ボロボロになる私がかわいそう。
ごめんね、あかり。今までも、そしていつもゴメン。
GW最終日、突然こんな想いがあふれて、忘れないようにと急遽アップいたしました。
これぞ、10連休の収穫といえるのでしょうかヽ(;´ω`)ノ
今日までお休みの方は、有意義な時間をおすごしくださいませ♪
あかりは今からお茶を煎れながら、ブック○フのセールで手に入れたフラワーエッセンスの本で勉強したいと思います。
こういうのは全然苦にならないのよねー、やっぱり本気で楽しんでるんだろうな(笑。鳥頭はわかりやすい)