何度でも新たなスタートラインに立つ

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花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

遠出して、豊かさの定義が崩壊したと以前の記事にも載せたのですが、ほかの既存の思考についても崩壊が始まっていてね。

ホント、世界は広いのだなと。40代半ば過ぎて、まだ知らない世界がたくさんあって。

あ、世界は広いといっても、私は面での広がりとして感じないのですけどね。

着ぐるみの私=この世界のプレイヤーである私が感知できる範囲…って半径どれくらいなのかは定かでないですが、実際は大してないんだろうな。

そこに中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)が“世界”という幻像というのか仮想現実というのかホログラムというのかを送り込んでくるという話なのでね。

この世が幻像であっても、別に何の問題もなくて。世界がどんな造りであっても、プレイヤーにとってはここが実際の作業現場(笑)であって、ここで感じることは真実でしかない。世界から見える“風景”と向き合ったときに、こころが動くこと…喜んだり怒ったり泣いたり幸せだったり感動したり…それらは本物だから。それらはプレイヤーに与えられたギフトであって、それを味わい尽くすことがプレイヤーの醍醐味なんですね。

例えば、今朝おこなわれた、小惑星探査機はやぶさ2による小惑星リュウグウへのタッチダウン。 

有人ロケット開発するならテレポーテーション研究したほうがてっとり早くね?と思ってしまう、てか、宇宙って本当にあるのかな?とさえ思っている(この世は幻像論を支持する身として)、我ながら夢の無さげな私ですが、実際にはリュウグウタッチダウン成功を固唾を飲んで見守り、成功の報告に、JAXAの皆さんの歓声湧き上がる姿に歓喜の涙をゴーゴー流すという。 

ま、そういうこと。この世の仕組みは仕組みとして冷静に捉えても、そこで生み出される出来事には感動しちゃっていいわけです。

そして中の人が送り込んでくる新たなものが、まだこんなにあるのかという。どんだけあるんだろうね?

だったら、送り込まれる、与えられるその豊かさをひたすら受け取り味わい尽くしてみようか?と思ったのです。

朝、目が覚めて、目の前に送り込まれた世界の、風景と出来事とインスピレーションを受け入れ、それに従って生活し始めると、今までの頭で考えた結果の行動とは違う、心の奥底から突き動かされるような衝動を感じるときがあります。

なーんて書くとカッコいいのですが、実際はそうでもないです。突然、あのスーパーへの買い物はこれから行ったほうがいいとか、そんな感じで。

しかも、だからってそれで何が起こるとか、ラッキーなことが起こるというのもそれほどないです。ただ、買い物に行って必要なものが買えましたという事実だけだったりね。

だけど、それは動くべきなんだなとははっきりわかります。動いたことの意味はその場でもその後もわからないことばかりだけど、風が吹けば桶屋が儲かるとかバタフライ・エフェクト(非常にささいな小さなことがさまざまな要因を引き起こし、大きな現象へと変化すること)の類なんでしょうね。

以前は、交通費がもったいないから所用はできるだけまとめて一気におこなうとかコスパ重視でもありました。でも今は衝動が優先です。

もちろん衝動にも、あせりや不安などネガティブな意識から起こるものもあってね、ただそういうものは行動が伴わないので区別ができます。

そんなふうに今までは『いつまでに○×すべき』とか『~でなければならない』とか、そういう固定観念の中で世間に合わせて事を起こさねばならないと思っていました。

だけど、本当に何でもどうでもアリなんだなと。だって、私の世界に何が送り込まれてくるか全然わからないんだもの。

こっちが身構えたとしても予想とは全く違う方向からやってきて、結局その場の対応しかできなかったとかさ。

そう、だから人生も“出たとこ勝負”でいくかと思うようになりました。

仕事についても、きっと死ぬまで何が合ってて合ってないとか、これが天職で天職じゃないとか絶対わからないだろうなぁって。

そもそも天職じゃなきゃ仕事じゃないのかっていったら、そうじゃないしね。私もあれこれお仕事してきていろんなことあったけど、それぞれにそれぞれの対価と経験を得てきました。するべきことはそのとき起こっていることだから、何であってもそれをしていたんだと思うと、それで正解以外の何物でもなくて。天職探しという目的設定してそれに奔走するよりは、ゴールはそもそもわからない設定だから、そのときすることになったことをまずはやってみるかと、それでいいんだと。

私は会社勤めが苦手だと思っていて、そして頭に羽が生えたような妙な何かがあるみたいで、フラワーエッセンスが合っていて、だからセラピストという仕事しかないと思ったし、人生の流れはそれに間違いなかったから従ったけれども、実際それは天職ではないみたいで。

だけど、天職でなくてもまったくよかったのね。セラピストというかたちでなくても私が活かせるかもしれない、その可能性がまだあると気づいたからね。セラピストでしか活かせない、仕事にできないという固定観念から解き放たれたのです。

思い返せば、いつだって私は『話し相手』でした。小さい頃から社会人になり、正社員でなく契約社員派遣社員になっても、どこの職場でも、誰かの話し相手になっていて、それこそただの派遣である私に社員さんたちが相談事を持ちかけてきて、退職となったときに感謝の手紙を添えてくださったこともしばしばでした。または街中や電車の中などで見知らぬおばあちゃまやおじいちゃまたちから話しかけられることも数知れず、まわりに人はたくさんいるのに、なぜか私に向かって歩いてきて道案内を尋ねてこられたりと、そんな経験は本当に山ほどあります。

だったらきっと、どこにいてもその特性は活かせるのでしょう。だから、送り込まれてきた世界がどんなものであっても、それは私が私であることを活かせるし、プレイヤーとしての私が気がつかなかった(あるいは中の人が意図的に気づかせなかった)だけで、本来は今までの世界でも私は私らしくありながら生きていけたはずなんです。そこが積み重なった固定観念や思いこみで阻止されてきただけね。

それを崩し、緩めるタイミングがやってきて、セラピストとして活動を始めてからの2年間で四苦八苦しながら紆余曲折を経て、ここまで来たのだと思います。本当に大切な期間だったのだなと思います。

でも、それまでの長い年月にも感謝しています。固定観念もずいぶんたくさん積んじゃったけど、経験もたくさん積み重ねさせてもらいました。だから、私にとって必要だったことには変わらない。

これからも何が起こるかは全然わからないけれど、一周回って新たなスタートラインに立ったのはわかります。エンジェルタロットカードとガーディアンエンジェルタロットカードで今の私へのメッセージを1枚引きしてみたら、どちらも伝統的なのタロットでいう“The world”が出たし(笑)。

正直、期待よりも不安のほうがめっちゃ大きいです。でも、何を思おうが起こることは起こるから。だから今は、

今まで得た経験や情報を基に、見たい風景を探し求める人生ではなく、中の人(=わたし)に導かれ二人三脚しながら、見たことのない風景と出合っていく人生を選びます。

結果の喜びでなく、過程で感じる豊かさを選びます。

豊かさは決してポジティブばかり、ハッピーばかりでないことはわかっているけれど、ネガティブあってのポジティブであり、アンハッピーあってのハッピーであることはこころに留めているから。

“わたし”を一緒に成り立たせている中の人が、私を貶めるわけがないのでね。訳あって事は起こっているからね。

ま、また思考崩壊が起こって考えが変わるかもしれないよ(笑)。だけど、変化には柔軟に対応していきます。

だって何でもアリだもん! o(〃^▽^〃)o