おまけの話~あかり、復活への道のり:その12

◎お引っ越しして、このブログを始めました。以前のブログは⇒こちら

  

花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

以前のブログでは時々載せていたのですが、私の中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私はそう表現します)と着ぐるみ(表層意識)の私の対話調の記事です。

もちろん、実際こんなふうに話しているわけではなく、脳裏をかすめたり降りてきたりした感触を受け取ったものを、わかりやすくするために対話のかたちにしております。
私は夢を見ることはめったになく、夢を見たとしても起きれば数秒で内容を忘れます。

ただ、起きた瞬間に「えっ、それって○×ってこと?」といきなり口ばしり、あれこれひとり言のようにつぶやきながらメモを取る、そんな出来事が年に数回あるのです。声や文章として記憶に残っているわけではありません。残っている感触が自動的に言葉になるのでそれを必死でメモしている感じです。

夢の世界で何か教えられているのでしょうか? 起きていても覚えておいたほうがよいことについては、時々こんなかたちでちょっとの間覚えていられるのかな(^_^;)
なのでこれはチャネリング等ではありませんが、抵抗がある方はこれ以降ご覧になるのをお控えください。何卒宜しくお願いいたします<(_ _)>

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つい最近のこと。目覚めた瞬間に私の口に出た言葉は「中の人は何も望んでいない?」

『そのとおりだな。今ここにあるすべてがこちら側(注:中の人=(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]のこと)の、まさしく“思いのとおり”だ。おまえさんの目の前の現実はこちら側にとって何ひとつ過不足なく起こっていること、そのものだ。

おまえさんは、あのとき違和感があり、何か足りないものがあるのではないかと思った。こちら側の、中の人の“望み”のとおりに動けていないから、そんなことを感じるのではないかと考えた。

だからじっと耳を澄ませた、でも何も感じない。そして“そんな自分がダメだからじゃないか”と自分を責め始め、がっちりブロックにハマった。

おまえさんの良いところは、そこから考え抜けきらないことだな。考えることがすぐに難しくなる。あっという間にギブアップしたものな』

…えーえー、鳥頭だと正直におっしゃっていただいて、まったくかまいませんことよッ(-_-;)

『ちょうどほど良くあきらめがついたところで起こってきた数々の出来事を、おまえさんは素直に受けとめ動き始めた。ここはさすがに今までの経験が生きてきたな。そして、ここに至るまでになった。

そう、そもそもこちら側の望みに聴く耳を持とうとしなくて良いのだ。おまえさんとこちら側はそういう関係ではない。命令する者とされる者、という感覚なら勘違いだ。

おまえさんが“聴こう”と“感じよう”とするその前に、すでに事は起こっている。おまえさんは、いわゆるプレイヤーはその起こったことに直面したとき、そこにどのような感情を乗せるのか、それが役割なのだよ。感情は選べる。選んだものによって感情の起伏が変わり、それに同調してからだも動き、それらをまるごと“楽しむ”。まさにプレイヤーだな。

おまえさんは言った、「中の人は何も望んでいない?」。そうだ、こちら側は何かを望む必要はない。望むことをすべてこの世界で表現しているのだから。その世界を体感するのがプレイヤーなのだ。

おまえさんのようなプレイヤー、いわゆる着ぐるみ(表層意識)とこちら側が合わさって“わたし”であり、“わたし”のいるこの世界で存在させ、動かしている。だから、おまえさんはこの世界で、今目の前にあるこの世界で感情を動かして、肉体を動かしていくことが役割なのだよ。

おまえさんが感じた違和感や不足感は幻だ。わかるな? この世界はおまえさんも含めたわたし…おまえさんにわかりやすく言い換えるなら、チームあかりにとって最善最良、ベストオブベストなのだよ、この一瞬一瞬が。おまえさんはシナリオや舞台装置を生みだす側ではないし、それらがどういうものなのかの記憶を消されているから、ベストと言われてもモヤモヤすることはあるだろう。でも、事前の打ち合わせではおまえさんも了承したし、それでもプレイヤーやりたい!と諸手を挙げたわけわけだからな。今さら後悔しても、もう遅い』

…わかってます。それ、前にも言われましたね(-_-;)

『そうだ、おまえさんが諸手を挙げてやりたいと申し出た、それくらい“楽しい出来事”しか起こっていないのだよ、この世界は。だがプレイヤーとしては見えない世界をそうとは感じにくい。そこでそのように感じられる見方のことをスピリチュアルというのだろうな。

で、おまえさんは違和感や不足感、こちら側を以前のように感じられない不安感を大いに抱えて、ジタバタしたり逆にまったく動けなくなったりしていた。それはな、決して悪いことではない。むしろひととしては当然あって良い状態なのだ。

本来の自分が100%だとして、現在の状態が60%くらいに感じていたとする。すると、その足りない40%を埋めようとして考えたり行動したりする。その動きは感情の波を作り、激しくなればなるほど乱高下を繰り返す。そのエネルギーが人として生きる原動力、生命力、バイタリティを生みだすのだよ。

サーフィンは波があればあるほど難しいが面白いだろう? それと同じだ。すべてはベストだとこころの底から実感するなら、静観するのはもちろん良い。だが、それが本心からでなければ、ただ『静かに事を受けとめなくてはいけない』などと頭で考えたからならば、ただストレスを溜めるだけだ。だったら、あのときのおまえさんのようにボロボロになるまで感情を動かし続けたほうがよい。おまえさんは鳥頭でよかったよ』

う、嬉しくないホメ言葉ッスね(^_^;)

『今回のことでまた世界の見方が変わっただろう? おまえさんは目の前に出されたものを食べるのが役割ってことだ。旨いものばかりではないからな、時には嫌いなものも出されるだろうし、量が少なかったりと逆に多すぎたりと一筋縄ではいかないだろう。だが、それをまずはいったん受けとめ受け入れることが大切だ。それから、さてどうやって美味しく食べようかなとアイデアを練るもよし、嫌いだぁと泣きわめいてみてもよし、いっそ食べるのをあきらめてもよし、まぁ何でも有りだし選ぶことを許されている。

つまりはまずは体験してみる、それがこれからの人生にもどんどん活かされて、より“楽しく”生きていくことができるということだ。

そういえばこの頃、失敗貯金とやらをするようになったじゃないか?』

ええ、ものすごく順調に貯まってますよぉ。ホント、今までも失敗だらけだったけど、まだこんなに失敗するんだって呆れを越して楽しくなっちゃってます。それに、どこかで失敗しておかないといつかは失敗してたなって気づくことが多くなりました。

そもそも失敗っていうのが何なのかよくわからなくて、ただ怖い怖いと思っていたけれど、怖いだけじゃなくて成功につながる鍵でもあるんだなぁって、今さらながらにベタな実感で恐縮ですけど。ホント、それは徐々に感じ始めてますね。

『おまえさんがいろいろチャレンジし始めているのはわかるよ。つい最近もなんかやってたな』

ああ、それはね。そう、ちょっとしたことだったんですけど、私にはどうにもできない、だけど自分にも関わりがあったから今までのクセで罪悪感がドバーッと来て、どうにかしなきゃって気持ちが毎度のごとくガンガン湧いてきたんです。

でもな、って今回はいったん考えを止めてね。どうしようもないことはどうにもできないから、いったん放り投げようと。言葉悪いですけどね^^;。こころからそれに対する想いをはずして、天ににまかせようって思ったんです。

そしたら、ちょっと間を置いてあっさり片づいちゃった。結局、悩む必要も自分を責める必要もまったくない案件だったんだな、チャンチャン♪みたいな。

会社勤めしていたときは、これで苦しんでいたときが本当に多かったんですよね。同じ部署だから連帯責任は当たり前、みたいな感覚が強くて、社員はその会社を代表している!みたいな意識が強すぎたんですね。ほかの人はきっとそこまで考えてなかっただろうなと今ならわかる(笑)。

同じ部署の課長の連絡ミスで起こった出来事に対して、とある別部署の社員さんからクレームが入ったときがあったんです。電話を受けた私に言い方もガンガン凄くてね。それで恐怖のどん底に落ちながらあれこれ対応したんですけど…今思えば、放っておいてもよかったな(爆)。

だって、結局私の手には負えなくて上役の対応が必要だったし。そのクレーマーさんは係長クラスだったんですけど、女性で派遣の私にはエラそうでものすごい剣幕だったのに、いったん収まりはついてその報告を電話でお伝えしていたら、そこにちょうどミスの元凶の課長が帰ってきたんですよ。だからお電話替わりますぅ~って取り次ごうとしたら、その方すっごく慌てた感じになって。実際に電話替わったら課長に対しては超ペコペコなの(笑)。課長も、大して問題じゃなかったよ?的対応だし。

私の、仕事に対する固定観念と、起こったことに対する感情の選び方や揺らし方で、自ら事を大きくしていたんだなぁと、ふと振り返って反省しました。「ゴメンね、あかり。つらい目に遭わせたね」って、あのときの自分に謝りました。

『体験を通してどんどん変わっていくのは楽しいことだろう? 固執して変化に抗う必要はないし、もっと早く気づけなかったのかとか知ることができなかったのかと過去を後悔する必要はない』

そうそう、気づきって意外と時間がかかりますよねぇ。以前はもっとスピード感をもって劇的に変化することがいいと思ったりもしてましたけど、思いがけないほど超スローであっても、流れを落ちついて感じてみると、ホント不思議なくらいきちんと私に合ったペースで事は起こっているんだなとあらためて実感してます。人生の流れにこれからも緩急の波があるとしても、それは常に私にぴったりってことですね。

まだまだ紆余曲折も四苦八苦もあるんだろうけど、今までどおり喜怒哀楽をがっつり感じさせられながら生きていこっかな。

…ここまで我慢強く読んでくださった方、本当にありがとうございます。復活への道のりシリーズはこれで最終になります。

ブログ引っ越し早々、何やら謎のシリーズを始めてしまいましたが、これらをまず載せないことには次に進めないという気持ちがとても強かったため、淡々と続けました。おかげさまで、私としてはすっきりして次に向かえる気がいたします。

そして、私が持ち直すのにお力添えいただいた皆さま、このブログにご登場いただいた方いただいていない方含めて、本当にありがとうございました。

もちろん、ブログはこれで終わりではなく今後も続けてまいります。ご縁がありましたら、引き続きお付き合いいただければ幸いです(*^_^*)。