久しぶりに遠出して~その1

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花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

3連休は本当に久しぶりに遠出をしておりました。

学生時代、大変お世話になった先生が念願のお店を出すことになったとのことで、オープニングに合わせて伺うことにしたのです。先生にも久しぶりにお会いして、とても楽しかったのですが。

その間に母から電話がかかってきてね、実家に帰ってこれないかと。いちいち出先だとか言うとなにかと面倒なので、仕事だから無理と伝えると、今度は私の仕事についてまた「まともな仕事にいつ就くのか」などグチグチと言われ、あげくの果てには「(実家に来てほしいのは)私の話を聞いてもらいたいのよ」。

出先での電話でさんざん私自身の不安をあおられたあげく、自分の不安に耳を傾けてもらいたい? いったいコレってどんな罰ゲームよ?とさすがの私も怒りとあきれがこみ上げてきたわけですが。

ま、こういうときにお役立ちなのがスピリチュアル、なのでしょうね。

この世の仕組みをスピリチュアル的な視点から見れば、合点がいきやすくなるという利点があります。

それでも、簡単にはいきません。そもそもの固定観念や信念をギューギュー抱え込んだ人間が、それを外す過程ってハンパなくしんどいですよ。まさしく修業じゃねーかレベルですよ。

スピリチュアルな視点から捉えたら、ホント物事って簡単にしかも常に幸せな状態で受けとめられるんですが、そもそもひとがその視点を獲得するのは難しいよなぁと私は思っちゃってます。だから誰でも簡単にできる!とは言えないです。でも、難しいけど興味深いから右往左往していながらトライしてるのかしら。Sっ気あるのかな(笑)。

ごめんなさい、話がズレました(^_^;)

ここで、母を責めてもしょうがないのです。この世は『わたし』が創りあげているから。
※わたし=着ぐるみ(表層意識)の私+中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)

そのなかでも中の人が『わたし』についての設定をすべておこなっています。ここで鳥頭やってる着ぐるみの私は、その設定を受けとめて、そこで動くプレイヤーの役割ですから、設定についてとやかくコントロールはできません。

つまり、母からの電話という設定を今回おこなったのは私の中の人です。着ぐるみの私としてはなんとも酷なシチュエーションをあえて起こしたというのは、それが私にとっての最善最良であるということです。

…なーんて、これを素直に受け入れられるなら、どんだけ悟れてるんだ私とホメてあげたいけどさ(^_^;)

電話が来た、その時点で私が受け入れられたのは『これはかなりのビックチャンスなんだろうな』ってこと。

何がチャンス?とお思いかと思いますが、着ぐるみの私が気づくための機会だということです。

・母が言うことに合点のいく不安が、自分の中にあることを、真正面から受けとめ認識する
・自分で不安になってしまう“固定観念”がまだ巣食っていることを自覚し、それを壊していく

母が言うに、私の仕事(会社員でない仕事)はお金が無くてみじめな思いをするのだそうです。

それが母の持つ心象風景であることは、私もHSP(超敏感体質)であり、共感能力を高めに持っているためわかってしまいます。母が結婚前で実家にいた頃から結婚して私たち子供が大きくなるまで、お金の心配をしないで生きてきたことがなかったことは知っています。ですから、定職についていない(ように見える)ことは母自身の不安を刺激するのです。私がみじめな想いをしないため、という前提ですが、それは母自身の心の痛い部分を突くから心配になり不安になり、それをやめてほしいから私に変わることを求めます。

こういうことはブログでぶっちゃけることではないのかもしれませんが、今はかっこつけるのはやめて嘘のない内容を心がけるようにしているし、備忘録でもあるので載せてしまいますけれども。

はい、確かに今の私は会社勤めの方に比べたらとんでもない収入です。貯蓄が無ければ生きていけないでしょう。それについて素直に不安はあると認めます。だからこそ、昨年末に地の底まで落ちこんだ原因のひとつであるとも言えますし、このお仕事は役割でもあるし自分に向いていると認めて今だからこそ、無理のない自分でこのお仕事をしながら経済的な安定も手に入れるにはどうすべきかと考えるようになったのです。

だけれど、これは言い切れるのですが、私はみじめな想いはこれっぽっちもしていません。

ボロは着てても心は錦、というように、心の安定感は人生で今がいちばんだと思っています。

それくらい、私にとって大勢の中で生きるというのは、それが職場だけでなく通勤でさえも、ものすごくストレスになるというのは、これはHSPなどわかる人にしかわからない感覚でしょう。実際、何度も母に「会社勤めは私には地獄なの」と伝えましたが、毎度ポカーンとした反応です。会社勤めがしんどいという感覚をまったく持っていない人の対応だよなあと脳裏の感触でもはっきりわかります。自分の感覚はまわりの人も皆一緒という認識で生きているのですね。

それを責めているのではありませんよ。生きてきた時代背景を考えても、母の年代でそういう方が多いのは当然だと思います。ただ、どうしても母娘となると「理解してくれよ!」という想いが互いにむき出しになってバトルになりやすいのは私も自覚していますし、バッチのフラワーエッセンスで、タイプ別レメディー(自分の生まれもった気質に合うエッセンス)を勉強すると、ネガティブに傾いたとき、母は相当えげつない気質だし、私も周囲に染まりやすいタチの悪い気質だなとわかりますし。

あのね、本当にもう、ひとはそれぞれ『お互いさま』でしかないですね、ホント(^_^;)

そんな始終お金に翻弄されてきた母に育てられた私ですから、ガッツリお金のブロックにハマっています。人生の最大の課題といっても過言ではありません。

ただ、私の中の人は、それに翻弄され続ける人生を設定していません。人生中盤までイヤってほどガッツリとブロックにハメて、今は徐々に外していく方向なのだなというのは感じています。

私は会社勤めをしない(安定的な収入を得ない)という生き方をこの2年おこなってきました。これは流れの上では自然でしたけれど、実際には本当に怖かったです。最初の頃はいつ貧乏になって生きていけなくなるのかと怯えたこともありました。早めに会社勤めに戻らなきゃなと思ったこともたびたびだったのも事実です。

でも、時が経つにつれ、意外とどうにかなることを知りました。社会保障も会社勤めの視点でしか知らなかったけれど、会社勤めのほうがいろんな縛りも多いんだなと知ることができたのは、会社を辞めてみたからです。会社勤めの視点からすると自営業(自由業)はあらゆる面からリスク高くて難しいって思っちゃうのは心底わかります。でも勇気を出して違う世界で生きてみると、そこはそこでなんとか生きられるようになっていることを知ったのです。

これを知ったら、『どんな生き方でもアリ』だと思えました。これは本当に大きな気づきです。私が会社勤めを辞めていちばんの収穫だと言えます。

母は、そういう世界を知りません。先ほど言ったように、現代の働き方に多様性が生まれていることを知らないのです。知らない世界について理解を得るのは難しい。だからそこは“あきらめ”ですよね。

そして、あきらめながらも、今回電話でやりすごすことなくあえてバトったのは、私自身のためでした。この機会を私自身の心の整理をつける場にしようととっさに考えたのです。

自分の想いを言葉にしてみると心の整理ができるのは、私がおこなうセラピーと同じですね。セラピーではお客様が対価を払ってくださいますので、できるだけ心地よい環境でおこなえるようにと心を砕きますが、今回の私の場合はある意味ケンカ売られていますからね(笑)。だったら、この機会を逆に活かしたいと思いました。

そうするうちに、自分自身の心の内に経済的な不安があることが改めてしっかり自覚できました。

私が不安でなければ、母にどんな言葉を投げかけられようが不安にはならないはずです。母が私の不安を的確に捉えているからこそ、そこで不安が増幅されるのでイラつきムカつくということです。

目をそらしたくなるけれど、でもまたこんな機会で不快な想いをするくらいなら、自分の中のこの不安と真正面から向き合って解消していこう! 電話のやりとりが終わってから、そう決心できました。

私の中からこの不安がなくなれば“何事でもなくなる”のです。相手を変えるより自分を変えるほうが簡単とも言えますし、この世界を設定しているのが私の中の人なのだから、相手も“私”なのです。

誰かに言われているのではなく、中の人が何かしらの意図を持って、誰かという存在を登場させて私に言わせているのです。

中の人は愛の存在。私を傷つけようとは決してしません。私のためを想って何かを起こすのは中の人しかいないし、起きたことは起こるべきこと。それについて「なぜ?」と意図を過剰に問いただすのではなく、起こったことに対してこの着ぐるみの私はどう対応するかのほうが大切でね。それで、私は不安を解消しようという方向にまずはこころを決めたということです。

そして事が不快であれば不快であるほど、気づきだったりブロック解消のチャンスは大きくなります。

セラピーでもお伝えしていますが、困難の大きさは、先にある幸せの大きさと比例していて、そこに向かうためには大きなエネルギーが必要だから起こっているのだと。良し悪しや快・不快はエネルギーの大きさとしてはどちらも同じなのです。

ただ、悪いことや不快なことは、そこから逃れたいと思うから、よりエネルギーを生み出しやすいんです。幸せなときに大きなエネルギー生み出そうとはあまり思いませんよね? 現状維持でいいやって思うからね。

そういう意味でせっかく来ちゃったチャンスなので、めっちゃしんどかったり辛かったり、ムカついたりイラついたりはしましたが、とりあえずできるかぎりの事の始末はつけました。母がそれでどう思ったかどうなったかはわかりませんが、それは母自身に自分に起きた事の始末をまかせればいいこと。私ができるのは、すべきなのは、私に起こったことに対する私自身の始末ですから。

こんなときにこんなことを起こすんかい!?と中の人に超文句を言いたくなりましたけれどね。でも、理由やこの先の流れはまったくはわからなくても、私にとって絶対必要で、最善最良のタイミングだから起こったんだと。

そしてね、中の人にはナンボ文句を言ってもいいんですよ。グチをこぼしてもケンカ売ってもいいのは中の人だけよ(笑)。

小さい子が真っ赤な顔して泣きながら怒っているときってありませんか? で、泣き叫んでる内容を聞いてみるとすっげぇ大したことないとか(笑)。でも本人にとってはめちゃくちゃ真剣な想いだし真面目に言っているのは十分わかる。だからこそ「よしよし」って頭を撫でてあげたいくらい愛しい想いにかられて思わず顔を緩めてしまったりしませんか?

私たち着ぐるみの存在って、そんな子と同じみたいですね。中の人にとっては。

こちらが人生で喜怒哀楽を体験し尽くされてて、時に「なんでこんな目に!」と怒ったりしているその理由は、中の人にとっては小さい子の戯言みたいに聞こえるようで。そりゃそうだよね、そちら側はすべてを網羅してわかっている存在だけど、こちらは訳わからん世界に放り出されて、よちよちオタオタしながら歩き回っている赤子みたいなもんだから。

だからこそ、何を言っても何をしても愛しいらしいですよ。セラピーで、お客様に対するお客様の中の人のそういう想いが感触で伝わってきますのでね、わかるんですけれども。

私自身はそれを実感できないけれど、きっと私の中の人も着ぐるみの私をそう愛しく想って見守ってくれているのだろうと信じて、グチったり文句言ったりしております。今回もそうでした(笑)。

…なんだこの、まとまりもオチもない文章は(・_・;)。でも、こういう体験をして今どう感じたかということは残しておきたかったのです。

こんなとっちらかった記事を最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

家族の問題は難しいと思います。私自身、円満な家族だと最近まで思いこんでいて、別に大きな問題があるとは今でも思ってはいませんが、生きている中で引っかかってくること、いわゆるブロックの原因については、家族のあり方は実は大きな影響があるのだと今は感じています。

ただ、家族を責めるだけでは解決はしなくてね、いわゆる自身の感受性との兼ね合いもあるので(たとえば同じ家庭環境でも私と弟の受けとめ方は違うはずです)まずはご自分に起こっていることにフィーチャリングしてみることが、事の始末をつけるにもいちばん早いのかと思います。