【トラウマモンスター襲来中】ぐちゃぐちゃになっても護られている

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花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪

不安や恐怖でドキドキになると、まわりが見えなくなりがちになりますが、ある程度のところまでいくと、どこか覚ってしまう域に達したりして

中の人(こころの深いところ[ハイアーセルフや魂、潜在意識など]を私は中の人と表現しています)とまったくつながらない状態から、いつもよりもうちょっと透明な感じで、細いんだけどクリアな糸でつながっているような、そんな状態になります。

それは、ひととしてこの世界で存在する着ぐるみ(表層意識、この世界でのプレイヤー)の私が若干高次寄りになる感覚です。スピリチュアル的に世界を捉えるというのか、高次に半分足を突っ込んだ状態で思考するというのか。

表層意識が混乱すると、新たに得た思考よりは以前の思考、特に固執していた思考が本能のようにぶり返してきます。そこにネガティブな感情も乗っかってきて混乱は増します。

今回はエッセンスにサポートしてもらっているからか、その状態には陥ってもふとした瞬間にクリアな空間を掴まえられるというのかな。台風襲来中にふと台風の目にぽっかり入り込むような。

そこで中の人とふれあっている感覚になるのです。私も緊張で集中している状態なので、いつも以上に近い距離に感じるのです。

結局のところ。着ぐるみの私がド混乱を起こしていても、それは雲の下では暴風雨になっているようなもんで、雲の上は常に青空なのと同じく常にクリアな状態は私の中に存在しているのだと。

そこらへんのコントロールは中の人がおこなっているのでね、そこはもうまかせて、着ぐるみの私は暴風雨に打たれたければハイ、どうぞって感じらしい。着ぐるみの私が暴風雨を選んで経験していて、それを“楽しんで”いるのだからと。

そう、この世界では経験だけが変化するための方法みたいで。この世界でより楽しく生きていくための変化っていうのかしら。

うーん、でもこの“楽しく”っていうのが奥深いというか意味深というか快楽的な楽しさだけではないんだろうなというのは察しがつくのですが。

今までも就活で採用されなかったことはたくさんあります。それは私の一切を否定されたようで、特にショックに弱い身としては本当にしんどいことなのです。

でも、就職とはそもそも会社と私とのマッチングであって、マッチしていないものを無理矢理しても両者にとって不幸だよね、と今になって納得してきたところがあり。別に両者ともに悪いわけではないんだなぁと思ってみたり。

ひとが限度のある中でやりとりするわけだから、当然誤解しあって「マッチングしていない」と判断されてしまうこともあるでしょう。

だけど、それを嘆くことはない。なぜなら。人生は起こるべくして起こることだけだから。

今こうやってしんどい目に遭っている身としては「もっと楽に、もっとスムーズに」と中の人に言いたくなるけれど、この世界の仕組みとして、経験のみが着ぐるみの私を変えていくならば、経験をしていかねばならないらしく、私にとってしんどいことも起きてしまうのだと。確かにしんどさは思考のスクラップ&ビルドを促進させます、嫌でも。

事が起きるということは、経験を生み出し積み重ねていくチャンスが得られるということ。そして、それは必要なとき必要なだけ起こるのだと。

だから、しっかり向き合う。そのときの自分なりに対応してみる。それがたとえ失敗や間違いに感じたりする結果になっても、その結果とそこまでの過程が必要だから起きたのだと、いわゆる失敗貯金の貯めどきだったのだと考えてよい。

冷静に考えると、今までもそうだったのかもしれないです。その場その場では大変な目にも遭っているけれど、人生の今この時点に達するのにはすべて必要だった、確かに。

とはいえ、実際にこの台風のような感情の渦に巻きこまれていると、そんなんどーでもいい! 助けて!と思いがちですが(><;)

中の人は赤ちゃんがぐずっているのをほほえましく感じているようにちゃんと温かく見守っている。それは今まで以上に感じています。

そしてそれを感じながら意識を“ここ”に、この世界のプレイヤーとしての私に戻したとき、私がここですべきことに対する勇気を携えているのがわかるのです。

ひとつの段階を終えた、ならば結果が出るまでは次の準備をおこなう。

不安に震えていても恐怖におびえていても、ここでは何も進まない。だからこの世界で、今できることを淡々とまっすぐしてみよう。

進められるのはプレイヤーであるこの私だけだからね。