待っている人たちの熱量
花灯 明里(かとうあかり)です。ブログにお越しいただいてありがとうございます♪
人生の目的やら使命やら、日々の目標といったものにあまり目線が行かない私にとって、生きるという原動力として唯一明確なのが“音楽”です。
たぶんどなた様が想像する以上に音楽に依存していて、幼い頃から人生の宝物として与えられたがゆえに、ほかにもっとキラキラしている宝物に縁が薄いというのは、ある意味残念ですが(苦笑)
先日テレビで、CHAGE&ASKAのASKAさんのライブを放送していました。ファンというわけではありませんが、人から録画を頼まれていたこともあり、録画予約したのを観たのです。
※ここでは薬物使用に関する件について、言及することはありません。ご了承ください。
CHAGE&ASKA(以降、チャゲアス)の楽曲には慣れ親しんでいる感があります。ヒット曲も数多くありますしね。きっと私ぐらいの年代(アラフィフ)の方は、結構ご存じだと思います。
そのライブは管弦楽団とのコラボレーションで、ASKAさんのソロとしておこなわれていたわけですが、“YAH-YAH-YAH”が始まってね。私、この曲にもともと弱いというか、不意討ちで聴くと泣くんです^^;
シンフォニックな“YAH-YAH-YAH”なんて、どうなるんだ!?と目を見開いて聴いていたんですけど、なんていうんだろう、曲が進むにつれて、会場全体のボルテージの高さがどんどん伝わってきて。これが本当に凄くって。
もともと楽曲の持つパワーが強いというのはわかります。じゃないと、私毎度泣かないし(笑)。自分がファンであるバンドの曲で泣いたことなんてほとんどないですよ。そう、好きだからすべて万歳ではないのが、あかり流でありまして、そういうトコすっごく冷静なんです(^_^;)
で、この“YAH-YAH-YAH”、観客(ファン)が盛り上がるのはわかる。でも何が凄かったかって楽団員さんが、演奏している楽団員さんたちが、そのパワーにボルテージに感応して笑顔になったり、演奏してないときに腕を振り上げたりしているんですよ!
楽団員さんたちが私とだいたい同じ世代ではないかというのは察しがつくわけですが、ファンなのか、私のようにファンでなくても人生の中でどこかにリンクする場面があったということなのか、どちらにしても、全体を巻きこんでしまうって本当に凄くて。その凄さにバンッと気を当てられて、ワンワンびーびー大号泣状態になりました(T_T)
ライブというと会場に行くことの臨場感もありますが、実はテレビで観るというのも面白くてね。
カメラ目線になる→強制的にその場を切り取られてしまう=集中する、凝縮するということにもつながって、そこにあるエネルギーが現場以上に爆発的に伝えられることがあるのですよ。
条件はあるかもしれません。視聴者がそもそもそれに興味をもっているとか、会場全体の集中力が並々ならぬ状態だとか。
それから私がHSP(超敏感体質)なこともありますけどね。テレビという電波系なツールとリンクしやすいから。
だけど、そのミュージシャンやバンドの音楽に対する想いや、対するファンやスタッフさんの愛情の深さが臨界的なレベルに達したとき、テレビの画面からドカンとしたパワーが発せられて、んもぉ身体が本当に後ろにはじけ飛ぶように感じて、その凄さに泣く。以前にも経験したことがあるのでね、今回もたぶんライブ会場もすさまじいパワフルワールドになっていたのだろうなと予想できました。
だからこそASKAさん、曲が終わってから何度も何度も「ありがとう」と繰り返してたのでしょう。あれは演者と聴き手の心が互いに心底通じていたからこそのリアクションだと思います。
ちなみに、スターダストレビュー(以降、スタレビ)というバンドのライブもテレビで放送されたことがあって、木蓮の涙とか有名な曲もあるので私の年代の方はこれまたご存じの方も多いと思いますが、そこにCHAGEさんがゲスト出演してね。
このライブは事件後だったんですが、スタレビサイドのリクエストで演奏されたのが“YAH-YAH-YAH”。で、サビの部分に差しかかったら、観客のみなさんが当然のように両手を突きだして一緒に歌ってる。
えっ?って一瞬ビックリしたの。だって、これスタレビのライブでしょ? 見に来ているのは当然スタレビのファンでしょ? なのにまるでチャゲアスのファンであるかのようにフツーに当たり前のようにリアクションしてるんだ!?(・_・;)
スタレビのファンもまた私の年代~チャゲアスもスタレビもファンは若干私より上の年代中心かとも感じますが~であって、ファンとかファンでないとか関係なく、その時代の音楽と共に一緒に生きてきた方々なんだなって気づいて。
歌は世につれ、なーんて古めかしいフレーズが思い浮かんでしまったけれど、ひととひととをつなぐ共通項に音楽が“歌”ってもんがあるんだなとあらためて気づかされたというか。
別にだからといって絆が大切というわけではないんです。ただ、人生を支える何かを持っている人たちの強さを感じました。
逆に言うと“弱さを救われている”のだけどね。だから、『待っている』。
音楽は、その人でないとそのバンドでないと出てこない個性というのがあるのでね。今までの楽曲が再現されず、そしてこれからの楽曲が生み出されないかもしれない、そんな現実が目の前にあったとしても、その理由がどんなに正当性を抱えていたとしても『待ってしまう』。
その理屈でない想い、痛いほどわかります。私もきっとどこかでいつも待ってしまっているし、楽曲やミュージシャンの存在が無意識に自分の今を未来を支えていると知る機会もあったのでね。
何も音楽だけが素晴らしいとかではないんですよ、何でもいいんです。極端に言えば人生を支える何かがあってもなくてもいい。ある人にはあるなりの、ない人にはないなりの理由があるんです。中の人がそういうふうにあなたを創っていて、それが最良最善だからね。
ただ、今回の一件で、ひとが生み出すエネルギーの凄さをあらためて実感しました。ただ、ひととしてこの世に在るだけですんごいパワー発揮できるんだから(^_-)
…ASKAさんのソロライブで観た“YAH-YAH-YAH”も、スタレビのライブで観たCHAGEさんの“YAH-YAH-YAH”も大泣きするくらい素晴らしかったけれど。
でもやっぱりコレは本物ではないよね? いつか本当の、完成形の“YAH-YAH-YAH”を『待っている』人たちが笑顔で観られることを祈っています。